Izumi Ogura
Professor of Englishソローは、エマソンの思想の影響を受けた文学者です。エマソンとソローはボストン郊外に位置するコンコードに住んでいました。このコンコードは、アメリカ独立戦争の最初の戦いと言われるレキシントン・コンコードの戦いが行なわれた町です。19世紀半ばに多くの文人が住んだことで知られています。エマソン・ハウスは現在もそのまま残っています。『ウォールデン』の舞台となったウォールデン湖には、ソローが2年2カ月2日住んだ小屋が復元されています。またエマソンが『自然論』を執筆し、ナサニエル・ホーソンが住んだ旧牧師館Old Manseもそのまま残っています。
さらに『若草物語』を書いたルイザ・メイ・オルコットが居住したオーチャード・ハウス、ホーソンが旧牧師館の後に住んだウェイサイドの家もあります。スリーピー・ホロウ墓地には、エマソンやソローの墓があります。
ソローは、エマソンと違って、自然と常に接触することを、人生の目的としていました。ウォールデン湖での実験もそうですが、メイン州の森にも出かけて、クタードン山にも登っています。プリマスの海岸に出かけて、難破船の様子を描写したり、自然を生で感じていました。
測量士としても優れ、ウォールデン湖の水深を正確に測り、草葉を正確に描いています。
政治的には、エマソンよりも過激で、奴隷制廃止に反対しました。ハーパーズ・フェリーを攻撃したジョン・ブラウンを擁護する講演も行なっています。しかし、ソローは南北戦争の勝利を見ることなく、1862年に死去しました。
日本ソロー学会の活動について
日本ソロー学会から英文論集Henry David Thoreau in the 21th Century: Perspectives from
Japan(2017)が2017年10月に出版されました。小倉の論文は"Paradoxical Truth in Emerson and
Thoreau"です。ソローの『ウォールデン』に登場するフランス系カナダ人のアレック・シーリアンの無垢な心とソローが考える社会との関係を解説し、その後エマソンの詩人と神秘主義者を分析しました。そして逆説が持つレトリックの深さや表現の不確定性について、現代批評を含めて分析しています。
編集者は早稲田大学の堀内正規先生です。小倉も編集委員会に入っていますが、事実上堀内先生の編集が大きな位置を占めています。英文論集はアメリカの学者にも読んでいただけるので、私が次に発表する学会で配布しようと思っています。日本は英文の論文を引き受けてくる出版社が少ないのですが、アメリカ向けには重要な業績なので、これからも英文で出版してゆきたいです。
日本ソロー学会は2015年に創立50周年を迎えました。10月9日金曜日の京都外国語大学における全国大会では、4件の研究発表と歴代会長によるシンポジウムが行われました。また会員による記事を集めた記念の冊子『命の泉を求めて―日本ソロー学会の50年の歩み』を出版しました。記念会誌は日本ソロー学会に関する思い出、アメリカ・ルネサンス期の文学と会員の研究、などエッセイ風に会員が執筆したものを収録しています。また過去50年間の会誌に収められた論文のタイトル、全国大会における発表タイトルを含んでいます。
2017年は英文論集を出版する予定です。5月の役員会で執筆者を決め、12月末までに論文の概要を提出していただく予定です。前回日本ソロー学会が出版した『ソローとアメリカ精神――米文学の源流を求めて』はソロー学会の編集という形を取りました。2017年の英文論集は編集長の堀内正規早稲田大学教授の名前で出版する予定です。これはグーグルの検索などで、学会名で出版すると誰が編集して執筆しているのかが不明となるためです。編集長を明示することで、書名と編集者の両方で検索の上位に上がりますので、宣伝がしやすくなります。
2012年10月1日に日本ソロー学会の会員によるヘンリー・デヴィッド・ソローの没後150周年記念論集『ソローとアメリカ精神――米文学の源流を求めて』(金星堂)が出版されました。ソロー、エマソン、オルコット、ホーソーンに関するの論文376ページと写真32ページで、総ページ408ページです。本書は日本学術振興会の科学研究費補助金研究成果公開学術図書により出版されました。
日本ソロー学会は2014年10月3日金曜日に北星学園大学で全国大会を開催しました。二つの研究発表、シンポジウム、講演が行われました。その後、年に一度の総会を開いて、会務報告と2013年度の会計報告をしました。
2015年10月9日金曜日に京都外国語大学で日本ソロー学会の創立50周年を祝う記念の大会が開催されました。過去の会長によるシンポジウムと4名による研究発表が行われました。日本ソロー学会は1965年10月22日に設立されてから、多くの学者を育て、アメリカの学者や学会とも交流をしてきました。また50周年の記念の会誌『命の泉を求めて―日本ソロー学会の50年の歩み』を発行しました。これからも、19世紀半ばのアメリカ・ルネサンス期の文学研究に新しい視点を提供できればと考えています。
19世紀の小説家で、植民地時代の歴史や人物を物語に取り入れ、独自のアメリカ像を創り出しました。ピューリタンの不寛容を描いた小説『緋文字』や『七破風の家』、短編小説「ロジャー・マルヴィンの埋葬」「若いグッドマン・ブラウン」などがあります。
オルコットは小説『若草物語』を出版した作家です。父アモス・ブロンソン・オルコットは19世紀の先駆的な教育家としても知られています。ソローが教鞭を取ったコンコード・アカデミーで、オルコットは教育に関与し、オルコット親子が住んだ家は現在もそのままで残されています。この家はWaysideと呼ばれています。オルコットが居住する以前に、ホーソーン夫妻も住んだことがあります。私は大学院生の時にウェイサイドを訪問したことがありますが、最近は行っていません。というのも、この家は一部がボヤで焼けたり、その修理をしたりで、夏休みは閉鎖されていたのです。2015年にボストンに現地調査に行きましたが、ウェイサイドはまだ修理中で閉館していました。近い将来再び訪れたいと思っています。
この写真はオルコットの父ブロンソン・オルコットが超絶主義を実践した実験農場のフルートランズです。コンコードから車で1時間ほどドライブする距離にあるハーバードというタウンにあります。父のオルコットは冬の寒さと過酷な労働に耐えられず、7か月でここを去りました。1912年にクララ・エンディコット・シアーズが博物館として整備しました。クララ・シアーズは、セイラムを創設したジョン・エンディコットの子孫です。また父方はジョン・ウィンスロップの子孫です。敷地の中にインディアンの家、シェーカー教徒の家、ニューイングランドの農家などが保存されています。マサチューセッツの西部の山脈が見渡せる高台にあります。
2015年8月21日に撮影しました。
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