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大東文化大学法学部政治学科教授小倉いずみのホームページです。

Izumi Ogura

Professor of English
Department of Political Science
Daito Bunka University

** Academic Achievement **   

アメリカ・ルネサンス文学American Renaissance

ラルフ・ワルド・エマソン Ralph Waldo Emerson(1803-1882)

2018年の書評
日本ソロー学会から英文論集Henry David Thoreau in the 21th Century: Perspectives from Japan(2017)が2017年10月に出版されました。小倉の論文は"Paradoxical Truth in Emerson and Thoreau"です。ソローの『ウォールデン』に登場するフランス系カナダ人のアレック・シーリアンの無垢な心とソローが考える社会との関係を解説し、その後エマソンの詩人と神秘主義者を分析しました。そして逆説が持つレトリックの深さや表現の不確定性について、現代批評を含めて分析しています。
 編集者は早稲田大学の堀内正規先生です。小倉も編集委員会に入っていますが、事実上堀内先生の編集が大きな位置を占めています。英文論集はアメリカの学者にも読んでいただけるので、私が次に発表する学会で配布しようと思っています。日本は英文の論文を引き受けてくる出版社が少ないのですが、アメリカ向けには重要な業績なので、これからも英文で出版してゆきたいです。
ウィリアム・ジェイムズ
アメリカの思想家ウィリアム・ジェイムズ(1842-1910)は、エマソンを尊敬し、エマソンのエッセイ「自己信頼」から「私の人生のモットー」として以下の英文を大切にしていたと言われています。

 私たちは人間として最も高尚な精神で超越した運命を引き受けなければならない。それは誰かに守られて部屋のすみに隠れている子どもや病人や、革命を目前にして逃避する臆病者になることではない。私たちは先達(ガイド)や救世主、そして善意の者となり、全能の全力に従い、混乱と暗闇の中を進んでいかねばならない。
 And we are now men, and must accept in the highest mind the same transcendent destiny; and not minors and invalids in a protected corner, not cowards fleeing before a revolution, but guides, redeemers, and benefactors, obeying the Almighty effort, and advancing on Chaos and the Dark. 
 (Ralph Waldo Emerson, “Self-Reliance,” Collected Works of Ralph Waldo Emerson 2:28)

私たちは混沌と闇の中にいても手探りで自分の道を切り開いていかなくてはなりません。迷いつつも、信念を持って進むことによって自立心self-relianceが育まれ、暗闇は明るくなり混沌の中に道ができていきます。
 私も研究者として暗闇は少しは明るくなってきましたが、相変わらずヤブの中にいる感覚は変わりません。しかし、先達はみずからの道を切り開くことによって後に続く人々の道を容易にしますので、道を間違わないようにしたいと思います。この引用は私が大学院生だった頃から大好きな英文です。
 エマソンはヘンリー・ジェイムズの父で神学者のHenry James, Sr.と交流がありました。「アメリカの学者」や「神学部講演」などで講演者として広く知られ、奴隷制廃止について思想上大きな影響力を持ったエマソンを父ジェイムズは深く尊敬していました。息子のウィリアム・ジェイムズが誕生した時に父ジェイムズはエマソンを訪れて、エマソンは赤ちゃんだったウィリアムズを抱いています。ウィリアム・ジェイムズはアメリカのプラグマティズム思想で知られる哲学者ですが、20世紀からさかんになる心理学の先駆者としても有名で『宗教体験の諸相』The Varieties of Religious Experiences(1901)などの著作があります。The Portrait of a LadyやThe Wings of the Doveなどの作品で知られる小説家のヘンリー・ジェイムズ(1843-1916)はウィリアムの弟です
エマソンの生涯
エマソンはボストンに生まれた19世紀の代表的思想家です。父ウィリアムは牧師で、エマソンがマサチューセッツの選挙日説教が行なわれた日に誕生したことを大変喜んだと言われています。ハーバード大学神学部を卒業したあとに、ボストン第二教会の牧師に就任しますが、聖餐式に満足できず、教会を辞任します。その後、講演を行なうことで、全米各地をめぐり、思想的な影響力を持つようになります。文学者と考えられますが、小説を書くことはなく、エッセイと呼ばれる多くの講演原稿によって、人々に知られるようになります。『自然論』(1836)は、アメリカの自然に目を向けることを人々に呼びかけ、文学の新しい境地を開きました。『アメリカの学者』(1837)は、ヨーロッパからアメリカ文学を独立させた「知的アメリカ独立宣言」と呼ばれています。『神学部講演』(1838)は、ハーバードの神学部で行なわれた講演ですが、ユニテリアン主義の教義を捨てて、人間の潜在性や可能性を重視するよう説いています。この説教は、保守的な教授たちから異端であると非難され、エマソンはこの後、約30年間ハーバード大学に招待されることはありませんでした。
ウォールデン湖のそばを走る フィッチバーグ鉄道
ウォールデン湖の西側にフィッチバーグ鉄道が走っています。エマソンやソローが生きていた時代に敷設された鉄道です。ソローの時代に蒸気機関車がボストンから走っていましたが、現在もボストンのノース・ステーションからコンコード駅まで列車が走っています。アメリカの鉄道は電化されていない地域が多いのですが、この列車もディーゼルです。
 ソローの小屋から歩いて数分です。湖の周辺のトレイルを歩くと、坂がありますので上に上がります。ソローが生活していた時は単線でした。岩波書店『ウォールデン』の文庫本には100年前の鉄道の写真が載っていますが、現在は複線で運行しています。通勤列車としても利用度が高く、1時間に1本ボストンからコンコードまで走っています。
 その線路沿いの土手は『ウォールデン』のSpringの章で、雪解けが詳細に語られています。現在は土手は当時ほどは急峻ではありません。ソローがいた頃は高い土手があり、その土手を下がった所に鉄道がありました。現在は土手は削られて平坦になっていますので、ウォールデン湖からすぐに鉄道のレールに行くことができます。この列車はボストンからコンコードに行く列車でした。現地調査をしていたら偶然に列車の音がしたので、しばらく待っていたらこの写真を撮ることができました。
 写真は2012年8月26日に撮影しました。
エマソンと奴隷制
エマソンは1850年代には、奴隷制をめぐって反対の立場を取り、影響力を政治にも拡大します。「1850年の妥協」に含まれる逃亡奴隷法に反対し、ノア・ウェブスターの妥協を批難します。ハーバード大学が奴隷制反対に動くために講演活動を多く行ないます。学問の府であるハーバードに、奴隷制を支持する人がいたことは知られていません。しかし、ハーバードには裕福な南部の農園主の子弟が多く学んでいました。Board of Trustees(法人理事会)は南部寄りで奴隷制支持、Board of Overseers(大学評議会)はマサチューセッツの議員が多く奴隷制反対でした。エマソンは1850年代のハーバードで、奴隷制に反対する指導的立場にありました。
 エマソンはリンカーン大統領にも面会しています。南北戦争後エマソンはハーバード大学内の戦没者を記念するメモリアル・ホールの建設に尽力しました。「神学部講演」でハーバード大学から非難されたエマソンは、奴隷制をめぐってハーバードの首脳と仲直りしました。
エマソン・ハウス
エマソンが住んだ家は美しい状態で保存されています。しかしエマソン・ハウスはエマソン記念財団の所有なので、冬期は閉鎖されます。このため、道路の反対側にあるコンコード・ミュージアムに書斎が復元されています。このミュージアムに展示されている家具が本物で、エマソン・ハウスにある家具はレプリカです。ミュージアムの中には、ポール・リヴィアがボストンのノース教会の尖塔に掲げた二つのランタンのうちの一つが展示されています。他にも、貴重な歴史資料がありますし、中の書店にはコンコードの地図などが販売されています。
以下の写真は2012年8月に撮影しました。以前もホームページに掲載したことがあります。また『ソローとアメリカ精神――米文学の源流を求めて』にも収録されています。


ヘンリー・デヴィッド・ソロー Henry David Thoreau

ソローは、エマソンの思想の影響を受けた文学者です。エマソンとソローはボストン郊外に位置するコンコードに住んでいました。このコンコードは、アメリカ独立戦争の最初の戦いと言われるレキシントン・コンコードの戦いが行なわれた町です。19世紀半ばに多くの文人が住んだことで知られています。エマソン・ハウスは現在もそのまま残っています。『ウォールデン』の舞台となったウォールデン湖には、ソローが2年2カ月2日住んだ小屋が復元されています。またエマソンが『自然論』を執筆し、ナサニエル・ホーソンが住んだ旧牧師館Old Manseもそのまま残っています。
 さらに『若草物語』を書いたルイザ・メイ・オルコットが居住したオーチャード・ハウス、ホーソンが旧牧師館の後に住んだウェイサイドの家もあります。スリーピー・ホロウ墓地には、エマソンやソローの墓があります。
 ソローは、エマソンと違って、自然と常に接触することを、人生の目的としていました。ウォールデン湖での実験もそうですが、メイン州の森にも出かけて、クタードン山にも登っています。プリマスの海岸に出かけて、難破船の様子を描写したり、自然を生で感じていました。
 測量士としても優れ、ウォールデン湖の水深を正確に測り、草葉を正確に描いています。
 政治的には、エマソンよりも過激で、奴隷制廃止に反対しました。ハーパーズ・フェリーを攻撃したジョン・ブラウンを擁護する講演も行なっています。しかし、ソローは南北戦争の勝利を見ることなく、1862年に死去しました。

日本ソロー学会の活動について

日本ソロー学会から英文論集Henry David Thoreau in the 21th Century: Perspectives from Japan(2017)が2017年10月に出版されました。小倉の論文は"Paradoxical Truth in Emerson and Thoreau"です。ソローの『ウォールデン』に登場するフランス系カナダ人のアレック・シーリアンの無垢な心とソローが考える社会との関係を解説し、その後エマソンの詩人と神秘主義者を分析しました。そして逆説が持つレトリックの深さや表現の不確定性について、現代批評を含めて分析しています。
 編集者は早稲田大学の堀内正規先生です。小倉も編集委員会に入っていますが、事実上堀内先生の編集が大きな位置を占めています。英文論集はアメリカの学者にも読んでいただけるので、私が次に発表する学会で配布しようと思っています。日本は英文の論文を引き受けてくる出版社が少ないのですが、アメリカ向けには重要な業績なので、これからも英文で出版してゆきたいです。
 日本ソロー学会は2015年に創立50周年を迎えました。10月9日金曜日の京都外国語大学における全国大会では、4件の研究発表と歴代会長によるシンポジウムが行われました。また会員による記事を集めた記念の冊子『命の泉を求めて―日本ソロー学会の50年の歩み』を出版しました。記念会誌は日本ソロー学会に関する思い出、アメリカ・ルネサンス期の文学と会員の研究、などエッセイ風に会員が執筆したものを収録しています。また過去50年間の会誌に収められた論文のタイトル、全国大会における発表タイトルを含んでいます。
 2017年は英文論集を出版する予定です。5月の役員会で執筆者を決め、12月末までに論文の概要を提出していただく予定です。前回日本ソロー学会が出版した『ソローとアメリカ精神――米文学の源流を求めて』はソロー学会の編集という形を取りました。2017年の英文論集は編集長の堀内正規早稲田大学教授の名前で出版する予定です。これはグーグルの検索などで、学会名で出版すると誰が編集して執筆しているのかが不明となるためです。編集長を明示することで、書名と編集者の両方で検索の上位に上がりますので、宣伝がしやすくなります。

 2012年10月1日に日本ソロー学会の会員によるヘンリー・デヴィッド・ソローの没後150周年記念論集『ソローとアメリカ精神――米文学の源流を求めて』(金星堂)が出版されました。ソロー、エマソン、オルコット、ホーソーンに関するの論文376ページと写真32ページで、総ページ408ページです。本書は日本学術振興会の科学研究費補助金研究成果公開学術図書により出版されました。

 日本ソロー学会は2014年10月3日金曜日に北星学園大学で全国大会を開催しました。二つの研究発表、シンポジウム、講演が行われました。その後、年に一度の総会を開いて、会務報告と2013年度の会計報告をしました。
 2015年10月9日金曜日に京都外国語大学で日本ソロー学会の創立50周年を祝う記念の大会が開催されました。過去の会長によるシンポジウムと4名による研究発表が行われました。日本ソロー学会は1965年10月22日に設立されてから、多くの学者を育て、アメリカの学者や学会とも交流をしてきました。また50周年の記念の会誌『命の泉を求めて―日本ソロー学会の50年の歩み』を発行しました。これからも、19世紀半ばのアメリカ・ルネサンス期の文学研究に新しい視点を提供できればと考えています。

コンコードの文化人

Nathaniel Hawthorne

19世紀の小説家で、植民地時代の歴史や人物を物語に取り入れ、独自のアメリカ像を創り出しました。ピューリタンの不寛容を描いた小説『緋文字』や『七破風の家』、短編小説「ロジャー・マルヴィンの埋葬」「若いグッドマン・ブラウン」などがあります。

Louisa May Alcott

オルコットは小説『若草物語』を出版した作家です。父アモス・ブロンソン・オルコットは19世紀の先駆的な教育家としても知られています。ソローが教鞭を取ったコンコード・アカデミーで、オルコットは教育に関与し、オルコット親子が住んだ家は現在もそのままで残されています。この家はWaysideと呼ばれています。オルコットが居住する以前に、ホーソーン夫妻も住んだことがあります。私は大学院生の時にウェイサイドを訪問したことがありますが、最近は行っていません。というのも、この家は一部がボヤで焼けたり、その修理をしたりで、夏休みは閉鎖されていたのです。2015年にボストンに現地調査に行きましたが、ウェイサイドはまだ修理中で閉館していました。近い将来再び訪れたいと思っています。




この写真はオルコットの父ブロンソン・オルコットが超絶主義を実践した実験農場のフルートランズです。コンコードから車で1時間ほどドライブする距離にあるハーバードというタウンにあります。父のオルコットは冬の寒さと過酷な労働に耐えられず、7か月でここを去りました。1912年にクララ・エンディコット・シアーズが博物館として整備しました。クララ・シアーズは、セイラムを創設したジョン・エンディコットの子孫です。また父方はジョン・ウィンスロップの子孫です。敷地の中にインディアンの家、シェーカー教徒の家、ニューイングランドの農家などが保存されています。マサチューセッツの西部の山脈が見渡せる高台にあります。
 2015年8月21日に撮影しました。


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