本文へスキップ

大東文化大学法学部政治学科教授小倉いずみのホームページです。

Izumi Ogura

Professor of English
Department of Political Science
Daito Bunka University

** Academic Achievement **   

研究の多様化Diversification of research projects

小倉科学研究費は、研究にさまざまな側面を加えています。学問や研究だけではなく、音楽や絵画なども時代と社会を映し出しています。カジュアルにアメリカと日本を比較しています。

チョコレートの話
2月14日はバレンタインデーです。アメリカでは日本ほどチョコレートを贈る習慣がありません。パーティーなどに招待された時にお花やチョコレートを持っていきます。大学ではバレンタインデーは学期中なので、学生たちがデートすることもありません。
 アメリカのチョコレートは地域によってブランドに特色があります。日本でも有名なゴディバはアメリカ全土で人気がありますが、日本ほど値段は高くありません。またゴディバの会員になると、タダでもらえるチョコレートもあります。カリフォルニア州ではSee'sが有名です。シーズは高価ではないので、お土産としておすすめです。しかしチョコレートの中身はソフトセンターになっているものが多く、すべてがチョコではありません。シーズを買うときはトリュフがおすすめです。カリフォルニアではギラデリGhirardelliというブランドも人気があります。こちらは日本の明治チョコレートような大衆化したチョコですが、価格はシーズと同じくらいです。空港ではこの二つのブランドが売られています。最近はTrader Joe'sのアーモンド・チョコレートが売れています。日本のグリコのチョコレートのように安くて、アーモンドがバリッと割れるほど新鮮です。トレーダー・ジョーズはアメリカ全土で売られていますので、出張の帰りにお求めください。
 私はニューヨークの5th Avenue Chocolatiereの生チョコレートが好きです。しかし生チョコなので溶けたらダメになってしまいますので、夏休みにリサーチに行っても持ち帰ることができません。日本ではバレンタインデーの時だけ販売されていますが、ニューヨークの値段の2倍です。とても高価なので、最近は10個入りが最大です。ニューヨークでは安く買えますので一箱にたくさん入っています。私は贈り物にフィフス・アベニュー・ショコラティエを買うことはなく、自分で食べる分だけにしています。名前は5番街ですが、現在は3番街にお店があります。
 フランスの友人によると、アメリカのチョコレートはおおざっぱな味だそうです。やはりベルギーのゴディバやパリのチョコレートが一番なのでしょう。フランスではチョコを食べるときは紅茶やコーヒーと一緒に食べるのではなく、お水とともにいただくのが習慣です。パリのチョコレートで私が好きなブランドはDebauve et Gallaisで、ナポレオンの時代から人気があるブランドです。パリのショコラティエではチョコレートの中にブランデーを入れたり、キャラメルを入れることはありません。またゴディバよりも小さいのですが、すべてがカカオです。食べるとパワーがつくので好きです。最近日本橋の三越百貨店で販売されているようです。直接インターネットで注文できますが、送料がチョコレートよりも高く、日本の他のブランドを買った方が良いと思います。ニューヨークのマンハッタンにも、5番街のバーニーズ・ニューヨークの中にデボーヴ・エ・ガレの支店ができました。こちらも高級です。
 デボーヴ・エ・ガレほど伝統あるお店ではありませんがChristian Constantもおいしいです。パリではギフト・ボックスに山ほど入れて売られているようなので、普段の生活の中で彼らは食べているのでしよう。クリスチャン・コンスタンは銀座に支店がありましたが、閉店してしまいました。やはり日本まで輸送すると費用がかかるので、価格が上がってしまうのでしょう。クリスチャン・コンスタンはボストンに支店がありますが、私は行ったことはありません。デボーヴ・エ・ガレは日本では虎屋の羊羹のようなブランドですが、クリスチャン・コンスタンはパティシエの名前で、彼が創り出した最近のブランドです。
 フランスの友人はケーキもチョコレート・ケーキが大好きです。日本ではイチゴ・ショートケーキをはじめケーキの種類が多いのですが、彼女はザッハトルテのようなチョコだけのケーキが一番と言っています。それだったらケーキよりもチョコレートを食べた方が早いかもしれません。彼女が東京に来た時「日本のチョコレートは中身が薄い」と厳しい評価でした。以上のパリのチョコレートの話は私がいただいたチョコから得た情報です。私自身はアメリカが研究対象ですから、ヨーロッパは行ったことがありません。
 日本のデザートはチョコレートだけではなく、さまざまな国の甘味を取り入れていますから、お菓子売り場はすばらしいと思います。チョコレートも美味しいですが、私は和菓子も大好きです。日本の上生菓子は脂肪分がなく身体にとても良いと思います。アメリカに輸出すると売れると思いますが、これは無理ですね。カステラは10日くらい日持ちしますのでアメリカに持っていきますが、とても重宝なお土産で喜ばれます。カステラの上にアメリカのアイスクリームをのせて食べると、疲れが取れます。
東日本大震災と私
2013年3月11日は東日本大震災が起きてから2年目となります。東京の日常生活は以前と変わらない日々です。小倉の自宅がある神奈川県は計画停電が7回行われ、都内とは違う不便な生活でした。電気がないとパソコンも使えませんから、仕事になりません。通勤電車は削減され、大変な混雑の中を長時間かけて通勤したことが思い出されます。津波で大きな被害があった東北地方よりも安定はしていますが、東京や神奈川は海岸に面していますから、いつ津波が来るかも知れず油断はできません。
 鎌倉の大仏はもともとは建物の中にあり、奈良の大仏のようでした。しかし津波で建物が破壊され、現在の姿になっています。湘南海岸は海抜が低いので、津波には弱いです。地震で建物が破壊される危険もありますが、津波にも注意が必要です。安全に注意しながら毎日を過ごしたいと思います。
 大東文化大学の東松山キャンパスは、授業期間中は5000人の学生がいます。敷地は10万坪ありますので、避難せずに大学にいることができます。水は500ミリリットルのボトルが2万本、食料は8000箱、防寒用のアルミシートは1万枚備蓄しています。非常時は急いで都内に入らずに、大学に宿泊できるようになっています。板橋キャンパスも非常用の備蓄がありますので、安心して学内にいることができます。大学は地域の避難所になる可能性もありますので、これからも安全には注意を怠らないようにしたいと思っています。
ショパンとロマン主義
古典主義音楽のバッハやハイドンから、ロマン主義音楽はどのように生まれたのでしょうか。そして19世紀アメリカ文学と同時期にヨーロッパで花開いたロマン主義の音楽と、エマソンやアメリカ知識人は、どのように関わり合っていたのでしょうか。
 ショパンのピアノ音楽は、アメリカにも影響がありました。アメリカの人たちはショパンの生の演奏に触れることはできませんでしたが、彼が作曲したピアノ曲はアメリカでも人気がありました。ショパンの『エチュード』作品10の12曲と作品25の12曲は、題名がついた作品が多くあります。「別れの曲」「革命」「木枯らし」などは、よく知られたエチュードです。
 作品25の第1番のエチュードは、「エオリアの琴」とも呼ばれます。エマソンはエッセイ「詩人」の中で、自然のそよ風によって奏でられるエオリアの琴を取り上げて、詩人は繊細な神経を持つ芸術家だと言っています。ショパンのエチュードは、この美しい竪琴を見事にピアノ曲に再現しています。
教会音楽と古典主義
バッハとエマソン
古い教会音楽の伝統の中で、音楽の旋律を五線譜に移したのは、ヨハン・セバスチャン・バッハです。エマソンはロマン主義の時代の文学者ですが、古典主義から大きな文化遺産を得ています。それは、エマソンとバッハの共通点は、教会という歴史を持つ伝統であり、エマソンはその伝統に新しい息吹を吹き込んだからです。
 バッハはピアノの『インベンション』によって、基礎的な音声を作成したことで知られていますが、彼の作品の集大成は『平均律』です。バッハの音楽は古典主義の特徴である機械的な拍子を持ち、ロマン主義の濁流のような激しさはありませんが、主題の重なりは素晴らしい響きを持っています。
 『平均律』はすべての長調と短調をカバーし、プレリュードとフーガから構成されます。アヴェ・マリアとして編曲され、有名になったプレリュードは、『平均律』の第1番ハ長調(4声)です。第13番嬰へ長調(3声)や第17番変イ長調(4声)のプレリュードも有名です。『平均律』は演奏が簡単そうに見えますが、暗譜が極めて難しい作品です。また旋律が明確なため、細部の演奏の正確さが求められます。激情に流れるようなショパンは、メロディが細部を圧倒していますが、バッハはこの点できわめて知的な音楽です。「静謐さの中の正確さ」が求められるバッハは、ピアニストが最後に到達する作曲家です。ショパンも生涯『平均律』を手放さなかったと言われているくらい、古典中の古典です。
アメリカ絵画と文学
ハドソン・リバー学派
アメリカで最初の絵画の学派は、ハドソン・リバー・スクールと呼ばれる学派です。ニューヨーク州の川の名前を取った画家たちは、高い山々、深い谷、青い空の中に旅をするアメリカ人を描き、その中央に位置する人に光を当てて際立たせる手法を取りました。彼らは、エマソンと同様に、アメリカの自然の美しさとその中に生きる人々を取り上げて、美しく描いています。
フリック・コレクション
ニューヨークのマンハッタンに、一つだけ一軒家があります。マンハッタンはすべての建物が集合住宅ですが、フリック・コレクションは19世紀の大富豪のヘンリー・フリックの自宅を美術館にしました。収蔵する絵画の素晴らしさは、言葉で表わすことはできません。この建物の外に出たことがない三枚のフェルメールの絵画、フラゴナールの愛の連作、ギルバート・スチュワートのジョージ・ワシントンの肖像、ルノワールを含む19世紀の印象派の絵画、などフリックの鑑識眼の高さを証明しています。フラゴナールの連作は、The Meeting, Love Letters, The Lover Crownedの大作が、部屋の壁をおおい、ロマンチックな雰囲気を創り出しています。フリックは、カーネギーと同様に鉄鋼で財産を作りましたが、ビジネスマンでありながら、自宅を絵画で埋め尽くした芸術家でした。彼の書斎も、そのままの形で残されています。
 オランダの有名な画家フェルメールJohannes Vermeer(1632-1675)が描いたMistress and Maid(1666)は、テーブル・クロスの「深い青」、女性が着るドレスの「ゴールド」、ドレスのふちどりに使用されている毛皮の「白」で彩られ、400年前の作品とは思えない生き生きとした色彩で、人々を圧倒します。フェルメールは日本で大変人気がありますが、フリック・コレクションのフェルメールは貸し出されることはないので、「女主人と女中」はあまり知られていません。しかし、フェルメールが描いた作品の中でも大きな作品なので、大変迫力があります。フリック・コレクションのフェルメール・ブルーは400年前のブルーが修正されずに現在に伝わり本物の深い青です。
 5番街のホテルに泊まると歩いて行ける距離にあります。日本語のイヤホン・ガイドはタダです。また日本語のパンフレットもあります。でも夏休みでも日本人の訪問者は少なく、のんびりと鑑賞できます。
クロムウェルとコットン
1630年代に英国からボストンに渡航すると、英本国の人は移住した人たちを忘れたと思うかも知れませんが、ジョン・コットンやトマス・フッカーは英国人に忘れられることはありませんでした。彼らがアメリカで行なった説教は、英国で印刷され、ロンドンの人々に読まれました。アメリカでコットンたちがおこなった会衆主義教会の改革は、英国で高く評価されていました。オリバー・クロムウェルが指導したピューリタン革命は、宗教による政治権力の掌握の好例ですが、クロムウェルはアメリカに行ったコットンを常に意識していました。コットンはクロムウェルよりも先に死去したので、ピューリタン革命の終焉と王政復古を見ることはありませんでした。クロムウェルとコットンは大西洋をへだてて、書簡を交換していました。ニューヨーク公立図書館には、クロムウェルからコットンに宛てた書簡が残っています。新大陸でコットンが完成させた会衆主義教会に対して、クロムウェルは深い尊敬を示しています。

バナースペース

大東文化大学

〒175-8571
東京都板橋区高島平1-9-1

〒355-8501
埼玉県東松山市岩殿560